香煙の祈り


【書名】香煙の祈り:レイテ決戦の諸英霊を追慕して 第35軍司令部及び関係諸部隊50回忌合同慰霊祭等の記録
【著者】後藤正男編
【発行日】1995.2
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編集に当たって

平成六年は戦争が終って丁度昭和二十年に戦死された方々は、佛教で言います五十回忌に当たります。太平洋戦争でフィリピン戦線は日米の決戦場となり、厚生省資料は陸軍三六九,〇一九名、海軍一〇七,七四七名及び在留邦人約二五,〇〇〇名の五〇一,七七六名の同胞が戦没された悲惨な戦場であることを示しております。鈴木軍司令官御命日に当たる五十回忌の合同慰霊祭も無事終了しましてから、七月上旬錦野様から、この慰霊法要を中心にした小冊子を作成して、後世に伝えてはとの御依頼がありました。鈴木閣下の御出身が名古屋市中区久屋町(現在は丸の内と言われています)であることを聞き、且つ少尉任官は名古屋の歩兵第六連隊でありました。しかもレイテ島で戦没しました私の兄も第三十五軍の編成で同軍経理部員となり、現役兵として歩兵第六連隊に入営しておりますので、私は地元の一員として僭越ながら編集をお引き受けする事に致しました。
いろいろと内容を考えまして、写真は四月十九日の合同慰霊祭や懇親会及び本年現地慰霊巡拝等の関係を、また皆様からのお手紙を挿入する事に致しました。ページの関係で「抜粋」となりましたところもありますので、ご了承を賜りたいと存じます。
比島で戦没された英霊をお偲び頂く資料として、本書が一人でも多くの方に讀んでもらう事が出来れば、比島で戦没の皆様と共に、また比島戦線に参加され、その後物故者となられた皆様のご冥福をお祈りすることになればと存ずる次第であります。
編集担当 後藤 正男


〔解説〕フィリピン戦域の戦没者は約五十万人。日本が昭和十二年七月中国と戦を初めてから、終戦の昭和二十年八月までの八年間における戦没者総数は、約三百万人と言われるので、フィリピンの戦没者はその六分の一を占めることになる。それほどフィリピンは太平洋戦争における決戦場であった事を物語るわけである。



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