静岡懸護国神社


2005_3_31.jpg(220837 byte) 創建 明治32年(1899年)
御英霊 76,219柱
住所 静岡市葵区袖木366
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アクセス 東海道線東静岡駅徒歩10分、静岡鉄道柚木駅徒歩約5分
電話 054-261-0435

独立歩兵十三連隊殉国碑(泉五三一六部隊碑)
DVC00062.jpg(97101 byte) 碑 文
泉第五三一六部隊ハ関東軍ニ属セル独立混成旅団トシテ支那事変ノ拡大トトモニ熱河ヨリ中国ニ進出 長城線ヲ突破シ 昭和十二年十月張家口ニ於テ 第二十六師団独立歩兵第十三連隊トシテ編成セラレ 内蒙古ニ進駐 同年十一月二十六日軍旗ヲ奉ズ 爾後 綏遠周辺ノ警備ニ任ジ 五原 中支 中原 淅カン 河南等幾多ノ作戦ニ其ノ赫々タル戦績ハ威勲ヲ四囲ニ輝カセリ時恰モ大東亜戦酣ナル昭和十九年七月 比島方面ニ急派セラレ 同年八月十九日未明バシー海峡ニ於テ魚雷攻撃ヲ受ケ 無念ニモ 連隊本部 第二大隊ハ軍旗卜共ニ海没 第一 第三大隊ヲ主力トシテ最激戦地 レイテノ決戦ニ参加 戦力ヲ物量ニ頼ル優勢ナル敵ト死闘半歳有余 此ノ間忠烈ニシテ勇猛果敢ナル奮闘ハ全軍ノ亀鑑トシテ上聞ニ達セルモ遂ニ全員玉砕ス 鳴呼 今茲ニ殉国ノ至情ヲ讃へ 大陸ノ山野ニ或ハ南海ノ孤島ニ散華セル我ガ勇士ノ霊ヲ慰ムルトトモニ栄誉輝ク部隊ノ偉績ヲ永遠ニ伝へンガ為 建之

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初めて訪れる方は場所が解かり辛いかと思います。
殉国碑の由来
DVC00064.jpg(116311 byte) 去る太平洋戦争において 主として本県出身者により構成された泉第五三一六部隊は 内蒙古の厚和に在って幾多の作戦警備に任じ 昭和十九年七月フィリピンに転戦した 途中部隊の一部はバシー海峡において魚雷攻撃を受け軍艦とともに海没 残る主力はレイテ島の決戦に臨み死闘すること半歳 矢尽き刃折れレイテの地を朱に染め遂に全員玉砕した遠い異境の地に飢えと疲労に耐えながら散華された我が勇士ゆかりの地に何かを遺し 永遠に之を顕彰したい心が結集され 昭和三十三年二月泉五三一六会を結成し会員の一致協力により同年九月ここに念願の殉国碑を建立し 毎年秋分の日にこの碑の前で慰霊祭を行っている

連隊は支那で編成され、綏遠地区の治安任務に従事、その後、河曲作戦、太行山脈粛清作戦、中原会戦などに参加。 太平洋戦争開始後は、魯中作戦、黄河南岸地区進攻作戦などを経て19年レイテ島へ転進。連隊の第一・第二大隊は独立歩兵第十二連隊(津)と共にフリダット付近で米軍と対戦、敵を分断するまで攻め入るが圧倒的な火力の前に甚大な損害を受ける。一方、連隊主力はブラウエン南飛行場突撃を狙いアルブエラに転進第三大隊は正面軍としてルビ山中を前進、ブラウエン西方で米軍一個中隊を撃破し高地を占領、飛行場の高射砲などを破壊するも、敵の逆襲の前に作戦は中止をよぎなくされる。その後幾度も切り込み戦を敢行、力尽き全員玉砕する


拓魂のモニュメントと拓魂碑「あゝ拓魂」
殉職救護員慰霊碑「愛の灯」
比島派遣 獨立歩兵第164大隊 元獨立守備歩兵第32大隊「鎮魂」
ノモンハン事件慰霊碑
満州第574部隊慰霊碑「鎮」
内匠部隊之碑

遺品館 パンフレット
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展示されている遺品(独歩13連隊関係等)
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八九式重擲弾筒
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九二式重機関銃

認識票、その他

擲弾筒、日本刀、銃剣等

十一年式軽機関銃、三十年式銃剣

手榴弾
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特殊珊瑚(人骨)
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千人針(五銭か十銭硬貨を縫い込んである"死線を越える苦戦を越える")

鉄帽
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上田毅八郎画伯による玉津丸




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