第二十六師団通信隊戦友誌


【書名】第二十六師団通信隊戦友誌
【著者】第二十六師団通信隊戦友誌刊行会
【発行日】昭和五十九年
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バシー海峡漂流記
泉五三一六部隊土井隊稲葉彦男(旧姓 細沢)

河南作戦で戦果を掲げて無事厚和の町へ戻ったのが七月の初旬。負傷の足を引きずりながら室内待機をしていた。

南方派遣を耳にしてから、数日後に厚和を出発した。天津に着いたら前部隊長が貨物列車にはいって来て「ガンバレヨ!犬死するなよ」と片手に一升どっくりをぶら下げている。この人--中川部隊長だ--それから数日後釜山に着いた。釜山の町は関東軍と北支軍で兵隊の町になっていた。八月の九日頃釜山を出発して伊万里港に入ったは八月十一日だった。伊万里一泊。朝起きて見ると早、小さな島のある処を走っていた。十六、七日馬公一泊。馬公を出る頃から状況は悪くなり、敵潜水艦に追われていたようであった。十七、八日頃はさらに悪くなり、その上十八日からは雨になり時とともに風雨が強くなり、夜が更けるにつれて状況は悪化していった。対潜監視が通信で「オイ、向こうの赤く見えるのは何だ」と聞くと「あれは空母が火災を起こして沈みかけているのだ」という話。

そのうち我々の乗っている船の傍で「オーイ助けてくれ!」と大勢の叫び声。しばらく行くとまた、ひと固まりの兵隊が軍歌を歌っていたり、助けを求める叫び声が聞こえた。我々の船はその兵隊達を助けるかに見えたが、その横を突っ走って逃げ去るようにして進んだ。聞いてみると、無線で状況が悪いから単独でマニラに向って走れとの電報が入っていたらしい。

 間もなく、我々の船が異様な音を立てて傾きはじめた。自分はぶちあげられるように海に投げ出され、油を頭からかぶり、船の渦にまき込まれた。海の底に吸い込まれるように水中にめり込む自分に気づき、われに返った。足をばたつかせ、抜き手を切って水面に出ようともがいた。だが、どうしても水面に出られない。オカシイと思った。頭の上に板のようなものがあるらしい。水を呑んだ。

 ぐっと顔を横に出してみると、すぐ横に筏が浮かんでいてすでに四、五人の戦友がその筏にすがりついていた。「オーイ何隊はいるか!何隊はいるか!」と叫んでいる。自分は油を呑んだのか口から油のようなものを吐いた。ふと見るとわれわれの乗っていた玉津丸もスクリューを上にして、あわや水面から姿を消すところだった。十一人の戦友が一つの筏に吊り下がるのは無理だ、と誰かが叫んだ。

 三、四人が高波の荒れ狂う中をあちらこちらの流木を集めて小さな筏を作り上げた。四、五人がその筏に乗り移った。波が高く、筏と筏の間に挟さまれてけがをした戦友もいたようだった。これは危い。その筏は切り離せというので二つに分けた。その夜は三日月だったのを憶えている。誰かが「アー水が欲しい。水が欲しい」と言いだした。 「早く救助艇は来ないか」と叫ぶ。

 三日目の三時頃、ようやくマニラから救助艇が来たが「後の船が来るからしばらく辛抱して待っていよ」と言って去って行った。皆がっかりした。四日目、自分の雑嚢の中でふやけていた『カンメンポ』を皆でかじり始めたが塩辛くて食べられず、海に捨てゝしまった。そのうち一人が「向こうにおふくろがいる。水をくれるから来いと言っている」と言って制止するのも聞かず筏を離れて行った。

 四日目の一時頃になると、十一人の戦友も僅か四人くらいしかいなかった。その時一人がアイスキャンデーをやるというので喜んで食べると、それはロ-ソクだった。

ああ、我々もこれでおしまいか、と泣いているのだが涙もろくに出なかった。夜は寒いうえに、すぐうとうととする。気がつくと二人がどこかへ行ってしまい、残るは二人きりになっていた。

 この相手は鳥取の人で妻があり、生まれたばかりの子供がいると話していた。この人もノイローゼ気味になっていた。嫁の名前を呼び、「オーイ、水をもって来おい」とどなっていた。その嫁さんの名前も忘れてしまった。この戦友は海を陸と思い込み、何度も体をささえながら家族の名前を呼んでは、家に行くそぶりをして海に入りそうになった。「これは危ない」俺は巻脚絆を取り戦友と自分の身体を結びつけた。

 夜の海は寒かった。丸四日も寝なかったせいか明方ついうとうととした。数分の間だったと思う。気がついて見ると戦友は巻脚絆をほどき、俺の横にはもういなかった。約十米先に--うつ伏せになって死んでいた。オレは筏を繰ってその人に近づき、オイ!!何で死んだのか、なぜ死んだのか!!と言いつゝその人を引き寄せ、巻脚絆で体をしばり海水に浸った重い体を何度も何度もすべらせながら筏の上にやっと引き揚げた。

 「オイお前は俺一人をおいて何故死んで行ったのだ」と語りながら俺は泣いた。

淋しさがこみあげてきて泣けるだけ泣いた。その日も暮れて又夜だ。南の夜の海も寒かった。月が洸々として何もなかったような静かな夜だった。横に眠っている戦友が不気味に青白く見える。お前は何故に死んだのだと又語った。答えもなかった。

 !!じっと顔を挑めていた。その日は静かな海だった。

太陽が照りつけて熱いバシーの海に変わった。何か喰う物はと目を皿のように見張って見たが何も獲物はなかった。

横の戦友は眠っているように見える。海水を汲み揚げては顔にかけてやった。青白くふくらんで来たように見える。顔をのぞき込んでは一人言をいう。夕方近く何んだか臭くなってきたので海に流す決心をした。

 「俺を恨むなよ」と涙しながら「南無妙法蓮華経」と何度も何度も唱えて流した。

 その戦友も暫くは自分の筏に添うように流れていたが夕方近くには見えなくなった。

急に淋しさが込み上げて背筋がぞくぞくしてきて仕方がなかった。

 昨日初年兵の児玉が一人で小さな丸太の様な物にぶら下り自分達から数十メートルの所を流れて行くのが目に止った。思わず「オーイ、児玉こっちへ来ーい」と呼んだ。然し児玉は俺の方を見ただけでそのまま行き過ぎていった。

 四日も一睡もせずにいたので、うとうとしてきたが寒さがひどく眠るどころではなかった。今日は静かな夜だった。

手首の傷跡が潮水にふやけてずきずきし、どうしようもない。しかし潮水を吸うた赤い越中(褌)でしばってくれた兵長のことが思い出されてならなかった。 (今もこの傷跡を見るたび薬も付けず潮水だけで十二日間も耐え忍んだものだと我ながら感心する)

 波まかせ、一人ぼっちの漂流はなんとも言いようのない寂しさである。これが陸ならなーと星を眺め、孤独の漂流がいつまで続くのかとおもう。北支の沙漠のこと、船と共に沈んだ戦友のこと、内地のことなどが走馬灯のように。

 あー今日から一人ぼっちの漂流が始まるのかと思えば心細くてならぬ。海は俺の気持など解ろう筈もない。水が欲しいなあ……

どんよりした波一つない鏡の様な果てしない海である。

 彼方後方に白く黒く入道雲があがってきた。あの下に行って早く一滴でも水を飲んでみたいと筏を繰りながら雲を目がけて泳ぎ出した…しかし何メートルも泳げなかった。やっと筏の上に又這い上がった。海は相変わらず静かだった。

こんな静かなのに戦争はやっているのか?とつくづく思った。何時頃か昼下りか筏の上で眠っていた。水の夢を見ていた。生れ故郷の道白山の岩谷の水を両手ですくっては何杯も何杯も呑んで腹一杯になり「あゝ、うまかった」と思ったのも束の間、ふと目が覚めると夏の夕日は遥か地平線に落ちようとしている。

 !!あーおふくろ水を持って来てくれないか……と何度も何度も手を合わせて拝んだ。

 ふと見ると水面に三つ四つ黒いものが筏の囲りをうろついている。何だろう?と透かして目を皿のようにしてみつめた。

急いで巻脚絆を継ぎ短剣を結びつけその黒い物に投げつけた。手応えはあったように思えたが、スーッと水面から背びれが見えなくなった。脚絆を繰って見るとするすると軽くあがり、今少しだったのにとがっかりした。

 あたりは薄暗くなり又寒い寂しい夜がやって来た。一人ぽっちと一人言の夜がやって来た。

 皆んなはどうしただろう。おそらく中隊の戦友は駄目だったのだろう。土井隊長の名前を何度も呼んでみたが隊長どころか戦友の返事もなかった。

 寒いので筏の上で足をまるめて暗い夜空を眺めていた。何時頃だろうと時計を見ると止っている。時計は手の方にずれている。

後手をついて考えていた時、何かこちょこちょしながら流れて来た。「あー水だ」と急いで拾い上げて見た。竹の筒である。夢中で筒を口に当て飲んだ……中は塩水だった、誰かが飲んだ空だ……

あゝ水が欲しい……と叫んだ。早く夜が明けないかとしきりに思った。ふと耳をすますと人の話し声がする気がした。「そんな馬鹿なことが?」自分の耳を疑った。でも確かに人の声だ。

水面を透かして見るが何も見えない。やはり空耳だ。冷たい体をすぼめながら夜明けを待った。

 東の空が白々して来た。うとうとし始めた。赤い太陽が昇り始めた。バシーの海はまた熱くなった。もう八月の後半なのだなー、と思う。

 どこか小さな島でも無いかと、いつも気を配ってきたが何も見えない海原ばかり。何日目だろう、八日目頃だらうか二、三十メートル目の前を波を切ってスプースプーと海水をはきながら進んで行く魚が目についた。大きな魚だ、怖る怖る筏を頼りにその魚の群に近づいた。

 百匹か二百匹はいただろう。急いで又脚絆を取り短剣をつなぎ魚めがけて投げたが届かなかった。あゝ又駄目だとがっかりした。塩水を手ですくって、うがいを二、三回した。海はきれいだ、この下に魚がいるのだ……と思うと、やにむに、無精に何かを喰いたい気持になった。いっそ自分の肉を喰ってみようかと短剣をももに当て切り取ろうとしたが、後のことを思うと……

 今思えばその魚はイルカで一匹の長さは一メートル半位かと思う。又夜が来た。さむく淋しく夜明けを待った。思いは色々。まだ誰か居るのでは、一組か二組かと……夜の海は静かだった。

パシャパシャと筏に上る水は尻のあたりをいつも濡らせている時折り、チクッと痛く刺すものが有る。にらか、夜光虫か。

 筏は相変らず流れている。いったいその方角はどっちなのか、恐らく南に向っているのではないか、今にマニラに流れ着くのではと考えていた。

 あー、今日も見えない、何か喰う物はないかと……ふと竹の筒を取って皮をむき始めた。少ししょっぱいが「これはいける」と食べ始めた。スースーと薄く、何度も何度もロの中に入れた。

 俺は思った。このまゝ死んでしまったのでは余りに無念だ。一人でも敵兵を殺して死にたい……と。

空腹の腹をみて考えた。何とかして陸に揚って草の根を喰っても生きて、今一度戦って陸で死にたい。しかしこの大海原のなか、ただ想像するだけだ。

 ふと見ると向うに雲が立っている、いやに風が寒く感じる。あゝ雨だ恵みの雨だ。そう思うとこの時とばかり筏を繰りながらその雲の方に泳いだ。やはり雨だった。スコールなのだ、大粒の雨が降り出した。急いで筏に這上り、大口を開けて雨のはいってくるのを呑んだ。しかしいくらもロの中に入らない。ふと三角布に考えついた。軍服の隅から三角布を取り出し鉢巻をし、その端末が口に入る様にした。始めは塩辛かったがだんだんと薄くなり……あゝやっと水にありついた……と思うも束の間、雨はやんでしまった。

 また熱い太陽が照り始めた。あゝ今の水はうまかった。こんな水が毎日あったら二十日や一ケ月は生きることが出来るのにな--とつくづく思った。

人間の本能は、生か。喰うことか。死かと心の底からこれほど思ったことはない。

 思い出せば家のおふくろは信心深かったが俺がこんなに苦しんでいるのに、と、おふくろを呼び又恨んだりした。

この時ほど親というものを身近に頼ったことはなかった。

 船と一緒に死んで逝った戦友も恐らくおふくろを想い死んでいったことだろう。

今更ながら泣けてくる。思い出せば出すほど日頭が潤んでなんとも言うようのない気持だ。

 何日かが過ぎた。またこれから何日続くのだろう、何度も自分の手の爪を見、足を見た。爪は白く、だんだん小さくなって行くように見えた。足のひざはぽっくり丸く痩せて行くのがまざまざと見える。頼るのは潮の流れと筏だけだ。竹の筒に巻脚絆を巻き、枕にして寝た。

 かんかんと照る太陽の下で働く人、戦っている人、漂流している人間、人様々である。

 『人事を尽して天命を待つ』

小学校の頃先生に聞かされた格言が頭をよぎり、今自分がその言葉通りに直面しているのだと思ふ。

 又夜が来た。声にならない声で一人軍歌を歌っていた。ポーランド懐古の歌だった。

 !!一日二日は晴れたれぞ
   三日四日五日は雨に風
 道の悪しきに乗る駒も
   踏みわずらいぬ野路山路
 !!さびしき里に入りたれば
   此々はいづことたづねしに
 聞くもあわれやその昔
   亡ぼされたるポーランド
 !!栄古盛衰世の習い
   そのことわりをうたがわむ
  人は一度は来ても見よ
   あわれはかなきこの所
背すじがぞくぞくして夜は眠られず、いつも夜明けが待遠しい。

    水兵飛び込んで助ける

どこかでドラム缶を叩く音がした。人の声も聞えるようだ。まだ誰かが居る、水面を透かして見るが何も見えない。

負けてはならない、勇気を出して生きるだけ生きてやらう。心に念じて自分を励ました。心淋しいまゝ出るだけの声を出して誰とはなしに呼んだが返事はなかった。

 静かな夜を一睡もせず朝を待つのはずい分と待ち遠しかった。日が登り始めると自然と手を合わせるようになった。太陽が昇り始めると 筏の廻りに目を光らせる、何も無い。

 少し波が出て来たように感じた。向うの方から又水しぶきを揚げてこちらに来るものがある。!!あの魚だ!! と脚絆を二ツ継ぎ剣をしばって待った。二、三日前のときより遠いようなので筏から降り筏を繰りながらその魚に近づいた。頃合いを見て筏に揚り剣を片手に待つ。二、三百匹の魚は列を正すかのように俺の前をスプー、スプーと潮水を吹きながら通り過ぎて行く。

 今だッ……満身の力を込めて五分剣を投げた。なのに魚は何喰わぬ顔をして悠々と泳いで去った。あゝ駄目だ、と諦めて脚絆を引き寄せて見ると剣は途中外れたか手元には戻って来ない。

 「しまった事をした」もう泣き出したい思いであった。その日も暮れそうになっていた。又背びれを出した何かが筏のそばに三、四匹いるのが目についた。あゝこれが鱶だな--ということが始めて解った。 誰かが残して行ったフンドシが筏に吊してあった。二、三本の赤く染めた褌も薄赤く見えた。静かに繰り寄せ三本を継ぎ合わせて海中におろした。

 釜山を出る時この褌を「鱶除け」にするのだと言われ、なるべく長くした方が鱶が寄り付かないとのことだった。

いつの間にか鱶もいなくなり又夜がやって来た。尻のあたりは夜光虫に刺され黄色くなっている。筏に座るのもやっとの思いだ。

 「オーイ、誰か居るか--返事をしてくれ--」と力の無い声で呼んで見たが無駄だった。

 昼は暑いのに夜となれば口唇はガタガタ震えて、軍服は乾いた所は塩で真白になり少し力を入れるとポロポロとちぎれそうだ。

尻は虫に刺され、どうかなっているようで障ってみると「ずきん」とする痛さだ。

仕方なく脚絆を尻に敷いて竹の筒を枕にしていた。夜は絶対に寝ない事にして、ただ横になる程度にしていた。毎日のことながら朝が待ち遠しい。夜が明けると筏の廻りを探すのがくせのようになったが何もなかった。

 太陽が昇れば夜の疲れで眠くなるので昼頃まで眠るのが日課になった。

 何だか飛行機の飛んでいるような気がしてふと目を覚ました。見廻すと大きな下駄ばきの飛行機が俺の上を旋回しているではないか。乗っている人も見えた。二人見える、日の丸のついた水上飛行艇である。

 瞬間……あーこれで助かる……と思った。そう思うといても立ってもいられない。やっと筏の上に立ち上り軍衣を脱いで力一杯振った。

俺の筏の廻りを二、三回旋回しながら手を振って行ってしまった。あゝ駄目かと捨てばちになり、又筏の上にねころがった。

又飛行機の音がしたが見向きもしなかった。一機遠くに飛んで行く姿が見えた。

又夜だ。いつになったら陸に揚がれるのか、助かるのかと溜息ばかりが出る。

筏の流れる後の方は青白いあぶくが気味悪い。もうマニラに着いてもよさそうなものだ、と流れの方角をむなしく眺める。

夜が来て又明ける。西も東も北も南も解からない。太陽が出て始めて東西が解る。

 海水が筏の上を覆って来た。小さなかじかのような魚が筏の上に乗った。これを逃したら大変と思ったが泡を喰ってしまったので逃がしてしまった。あゝもったいないことをした……

ふと海面を見ると引粉の様な物が筏の横を流れている。手ですくい上げて見ると確かに引粉だ。よく見ると筏の越中の根本の処に赤鯛が引粉を追って居るではないか。「良き獲物」と、手でつかもうとするがなかなか獲れない。何回も飽かずにやったが駄目だった。

 何時間眠ったのか太陽は頭の上にきている。と共に赤とんぼが無数に飛んでいるではないか?陸が近い! と感じ辺りを見廻すが何も見えない。又筏の上に仰向けになる。

 時々この赤とんぼが俺の体の上に止まる。一匹が鼻の上に止った。思わず渾身の力でとんぼをつかんだ。そして独りでに口の中にほうりこんだ。

 十何日間の空腹をいやした。うまいと言うより味も何も解らなかった。腹の虫がぐうぐううなった。

 ひと寝入りして目が覚めた。三時頃だらうか、水平線の彼方に箸の様な棒が見えて来た。何だらう?目をみはっていた。

 見る見るうちに船の形になって来た。とにかくどこの船でも良いから助からなくては……と思った。

 やっと助かるかと思うと訳もなく泣けてきた。だがもう涙すら出なかった。体もすっかり痩せて、腹部を両手で廻してみると廻ってしまった。大腿部は足の脛と同じ位いの太さに細かった。後一日か二日で俺は死ぬとわかった。

 船の形がはっきりしてきたので、やっとのことで筏の上に立ち軍衣を脱いで助けを求めた。しかしその船は助ける気配を見せてくれない。半ば諦め筏の上にへたへたと座り込んでしまった。

 思い直して又立って見た。よく見ると五、六隻の船が見える。そのうちの一隻が自分を目がけて走ってくるではないか。

 「鳴呼、これで助かるのだ」……と思うと急に力が抜けて筏に倒れてしまった。船の上から誰か叫んでいるようだ。だが自分は筏の上に座ったまま呼んだ!!

 そのうち一人の水兵が水に飛び込み筏にきて俺の体に浮袋をすっぽりと入れてくれた。やせた俺の体はまたゝく間に船の甲板に引き揚げられた。

 すでに腰の立たなくなった俺を水兵の一人が負ぶって船室の中に入れてくれた。そしてベッドの上に寝かされた。 "水をくれ"……たてつづけ三、四杯呑んだ。″何という美味しい水だらう″

 軍服のポケットから軍隊手帳を取り出し色々聞いているようだが何を聞かれているのかも解らなかった。

 唯助かった嬉しさと安堵で一杯だった。「俺は助かったのだ」とつくづく思った。その内二人の水兵に救けられながら船室に下りた。 真黒に陽焼けした男がいる。猿に似ている。俺もあんな顔しているのかと思いながらその男の顔を見た。

 髭は生え頭の毛は茫々、歯は白く見るからに不気味な姿。そんな二人も水をくれと言っていた。

 夕方近いのか炊事の臭いがしてきた。何か喰いたいと言ったらパインの汁を匙で口の中に入れてくれた。しかし人間の我侭か、飯をくれと頼んだ。「お前ら生れたばかりの赤ん坊と同じだ。今すぐ飯を喰うと死んでしもうぞ」と教えられた。

仕方なく水を又もらって飲んだ。たばこをもらって一ぷく吸ったらフラフラと目が廻った。隣りの二人も吸っていた。

 顔を見るのも始めてだが尋ねてみると同じ部隊の通信隊の望月と寺田と言う男だった。お互い生きていて良かったと心から思った。

 思い出してみると一人ぽっちで漂流中にドラム缶を叩く音や、人の話し声が聞こえたのも空耳ではなかったのだ。やはり誰か居たのだ。この二人に聞いてみると、空ドラム缶の中に二人で入っていたのだそうだ。

 暫くすると隣りの船でも二、三人救助した様子だった。やはり同じ部隊の浅井少尉と中島という兵隊だった。

 しかしこのように四、五人の人達が同じ処を漂流していたのに、何故お互いに見つけ合うことが出来なかったのか?

まるで神隠しにでもあったようなことは、お互いに対しての試練であったのか。 夕方台湾の高雄港に着いた。殺風景な処に入れられたが学校のような処であった。

褌一つで毛布にくるまり、じっと目を閉じていると、まだ波の上に居るような気がしてならなかった。

 一時間ばかりして看護婦が俺を車に乗せた。そして廊下をあちこち押し歩き、各部屋で何か話している。聞いてみると空きベッドを探しているとのことだった。 そのうち意識が朦朧としてきて何も解らなくなった。どのくらい経ったのか、ふと気がつくと白衣を着せられ小部屋のベッドに寝かされていた。

 太い注射器で太股のあたりに看護婦が注射をした。リンゲルか、透明な液体がどくどくと体の中に入ってくるように思えた。辺りを見廻したが寺田や望月はいなかった。多分別の部屋に入れられたのだろう。十日ばかり過ぎた或る日、望月、寺田の外竹下と言う人も見えた。始めて逢ったのだが同じ部隊だということで気楽に話し合った。

 その内、中島とも知るようになり、お互いに自分の漂流記の話や助かってみると人間の我がままが出てきた話など語り、又二ヶ月も給料をもらってないことなど話題に昇った。

 他の病室の兵隊など甘物を買って喰べているが我々は文なしで三度の食事だけ、幸い竹下が腹巻の中に三、四十円を持っていたので五円程を借りて金平糖を買って喰べた。

 また病室の天井に大きな守宮(やもり)が張り付いて啼いていたのが印象に残っている。

 いつの頃か空襲があり爆撃でドンドンバリバリする中を担架であちこち運ばれ壕の中に入れられた。朝方まで壕におかれたことや、怪我人がだいぶ出たことなど思いおこす。

 救助されて一ケ月、漸く「おまじり」が出るようになり腹のすいた思いをしたのをよく覚えている。

 日中は五人揃って廊下の手すりにつかまっては、今日は十メートル、明日は二十メートルと歩く練習をよくした。 いつ頃かよく覚えがないが、内地から高松の宮代理の大佐が見舞に来てくれたが、只ご苦労様の一言だけだった。

 五人そろって歩く練習をして、小さな草の根につまづいて転んだこともありました。又五人揃うと必ず喰う事の話でした。

 我々が救助された船は、日本海軍の海防艦「シムシ」という船でした。

 今もその船のことは絶対に忘れることはありません。又海中に飛び込んで来てくれた水兵の方にお礼を述べたい気持で一杯です。

 又、今日は人命尊重で人の生命を大切にしますが、当時の軍部は人の生命を虫けら同様にしか思っていなかったのでしょうか。十二日間の漂流も長い年月の間には忘れ去ろうとしています。

 でも今こゝに忘れられない主なことだけを綴りました。助かった私達六人の他に、二人ばかりおりましたが病院に入ると間もなく亡くなりました。

      妻、母の名を呼び
         水を求めて波間に入り
           幾多の兵士帰らざる人



 このように多くの亡くなった戦友のために冥福を祈りたいと思います。六人の戦友にはそれぞれの漂流記があると思いますが、私の漂流記はこれで終ります。この漂流記は孫子の代まで残したい、と思い書いたものです。

 救助された戦友は浅井さん、望月さん、寺田さん、中島さん、竹下さん。 
       以上

その切々たる心境を綴る

一、遠き故里瞼に浮かベ
     バシーの潮風身にしみる
  今日も一日波の上
     いとしき母を我偲ぶ
二、水を求めて幾多の戦友が
     帰らぬ人となりにしが
  雲を目ざしてたよりしに
     雨は彼方に遠ざかる
三、今日は東か明日は西
     筏をたより夜の海
  何日目かと指おりて
     我が身はかれて声も出ず
四、我が命今日でしまいと手を合わせ
     真夏の太陽背に浴びて
  何時ぞや土が踏めるやら
     焼けつく太陽赤道下



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