悲しみの海峡
【書名】悲しみの海峡 : バシー海峡十二日間の漂流
【著者】浅井芳郎
【発行日】平成十年八月
記録を書くにあたって
昭和十六年、私たち師範学校卒業の年は、あの太平洋戦争勃発の年であり、私たちは戦争に駆り立てられ、余りにも強烈な体験と悲しみを残して五十年が過ぎた。あの極めて愚劣な戦いと残忍無残な暗黒時代、狂乱の中に押し込まれて死んだ魂の叫びを、そのまま消え去らせることは出来ない。
高雄陸軍病院に救助されて、軍医や看護婦から、また発熱するからと度々取り上げられた当時の断片的な記録をもとに、恨み深いバシーの無惨さを綴り、この記録を昇天せる何万の英霊に捧げ弔いたい。
十二日間の漂流は、文字通りどす黒い死の一頁であるとともに、人間としての至上の美を尽くし得た崇高な一巻ともいえよう。やもりの声に無き戦友の声を聞き、隣室の呻きにあの断末魔の兵の叫びを耳新たに感じながら、泣こうとして泣くことすら許されない自分をも慰めたいとはいえ、書き進めるにつれて頬つたう涙が紙面をにじませ、そこには、夜光虫光る海が・・・・・・・水を求めて叫ぶあの血を吐く呻きが、浮かんでは消え、消えてはまた浮かんでくる。
今、五十年を過ぎて、真に平和の有り難さをかみしめてほしいと思うとともに、あとに続く若者たちに、再び、あの苦しみと悲しみを味わわせてはならないと思う。
「お母さん有り難う。さようなら」・・・・・・・の言葉を最後に死んで行く兵、妻の名を呼んで、あとを頼むと合掌して沈んで行く兵、「けんじ(或いはけんいち?)大きくなれよ」と呼びかけて真っ直ぐ紺碧の水に沈む召集兵、そして、そのあとにこれまた真っ直ぐな小さな泡が立ち上がり、最後に一つ、やや大きな泡がポカッと消える農民兵士の最期、これが戦争の実態であり事実である。
日清、日露の戦争体験が敗戦の日まで伝承され、日本民族を支配し生き続けたのは何故か。戦いに勝った為だったのだろうか。それならば、この敗戦の事実こそ、更に一層伝承されなければならないと思う。夥しい三百十万の兵の死をみつめ、それを憤り、その事実のすべてをそのままに伝承することは不可能としても、再び、この過ちを犯し、他殺死を自ら求め、これを最高の名誉と思うように訓練される時代のこないことを祈る。五十年という時の断層によって、ややもすれば、戦争の無惨さが消え去ろうとしているように思われて空しい。それはまた、戦後一度もあの戦中同様の規模とエネルギーを持って、戦争そのものを部分としてでなく、国家として反省したことのないためではないだろうかとさえ思う。この記録が「過去を正しく知ることは、現在を正しく生きることであり」「事実を伝えることは、未来においてもその都度事実を知ることになってほしい」と願うからである。
「靖国の御霊の安らけきを祈り、心から人間の第一の不幸は戦に敗れることであり、人間の第二の不幸は戦に勝つことである」ことを血の叫びとして伝えたい。加えて「敗戦」という言葉のみの伝承でなく、「敗戦」に至る道程の苦しみと悲しみの事実こそ伝承してほしいと思う。
これを書くにあたり、元静岡市教育長渡邉福太郎氏および令室美江子様、静岡BC観光社長中嶋秀次氏に大変な御助力と御助言をいただいたことを心から感謝してはじめの言葉とする。
終戦五十年の歳月に加えて、資料もとぼしく、兵力、その他数量的な不明確さ、月日、時刻、等においては、若干の推定、判断の誤り等もあると思われるがお許しをいただきたい。
あとがき
あの戦いが終えて五十年。過ぎ去って行く年月は早い。そしてまた、この五十年の時の流れとともに戦争の無惨さや戦禍のなまなましさは、時とともに流れ去っていくような悲しさにつゝまれる。復員して今日まで、何回か次代を背負う人達にこの平和の礎を築いてくれた将兵への感謝の記録を書き残そうと決心したが、その都度蒙彊の大原野から比島に、或はバシー海峡に散華した戦友の在りし日の顔が浮かんでどうしても書ききることが出来なかった。しかし今年は戦後五十年、勇猛果敢な戦友の偉勲を後世に伝え、ご遺族の方々の心をお慰めするのが生きて残った者のなすべきことの一つと心に定め、この機会を逃したらもう永久に書くことは出来ないと考えて筆を持った。
五十年も苦しみ、五十年かかってたゞこれだけしか書けないことを無念にも思うが、戦いの事実を十二日間の漂流のありのままを記して心から泉五三一六部隊の将兵の冥福を祈りたい。そして、今の平和の真の喜びを知り、この幸せをもたらしてくれた将兵にこたえる日本人になって欲しいと願うのである。
特別に戦争体験に固執するわけではないが、この体験をぬきにして我々の今日はないのだといわれたある人の言葉をそのまま思い出す。たとえ戦争体験に固執してもこの伝承は恐らく絶望的かも知れないが、私は次代の人々に重ねて叫びたい。今日のこの平和のかげに尊い数限りない犠牲のあったことを忘れないで欲しい。そうしてこの青い地球の上で育った子供たちに、青い地球は青いままに次代に伝えて行き戦争だけはしてはならないとだけでも伝えて行って欲しい。